てんてこオタク育児記録

育児が楽しすぎるのでちゃんと記録を後世に残せるようにブログにしようと思いました。オタクの育児は変なこだわりが入るのでなにかと記録しておくと良いことがありそうです。※育児の何が正しいかは子によってそれぞれなので内容の是非はご理解くださいませ。

今のソーシャル界隈のマーケティングについて腑に落ちたのでメモっとく

今日の飲み会で、先輩と、インターネットやっぱ好きだわ、インターネットやっぱすげえみたいな話をしてて、表題の感じを思ったのでメモ。やっぱり話してると、自分はインターネット好きだなあ、と。個人的にはテキストサイトがネットを凌駕していた時代の、あの、だれでも主役になれる感じ、っていうのは、ばりばりエキサイティングな感じだったなあ、で、今もそれはありえるし、作っていきたいなあ、と言う感じが、自分と多分その先輩の、インターネットってやっぱ良いなあな感じで着地したのだけれど。
ソーシャルって言うレイヤーはやっぱりしょぼくて、っていうか、低くて。ソーシャルってそもそも単なる概念だし、社会であるインターネットにはレイヤーで上に行ってるようで行ってないと思うのね。で、僕はインターネットのレイヤーが大好きだなあと思っている。どういうことかというと、インターネットは皆に平等であると。ソーシャルはソーシャルコミュニティーで平等でないと。結局は現実をネットでつないだ=効率化、突き詰めて行けばそれだけになっている。個人的に、ネットは効率化の時代=デルやエリヤフ・ゴールドラットの時代から、どうやって付加価値にスライドできるかが問題だと思ってて、それを本質的にクリアにしているサービスはあまり無いと思っていて。
コミュニティーが一緒だとそれは今までの現実と同じなのね(だからFBはつまらないし義務感がある)。インターネットっていう社会は現実を凌駕したレイヤーにあるからすばらしいし、そこからうまれてくるサムシングもあると。っで、僕はそれになりたいなあと。
で表題のところに行くと今の「ソーシャルすげえ」っていう概念は、「インターネットっていまやっと広告代理店にすげー注目されててマネタイズできるすげー」の翻訳だとおもう。これは現場で思うほんとのこと。インターネットの一部がソーシャルなのに、汚いところに目をつぶって、金儲けできるところに目を向けている。インターネットっていう、僕らみたいな引きこもりの人間が平等に可能性を与えられるような最高の社会が本質なのに、一部分として、マネタイズできる一部分=広告代理店にこれナショナルクライアントに提案できる−−的な考え方の部分をソーシャル=購買層、って言ってるだけ。
可能性の部分はだれもソーシャルって言ってないと。
なぜなら認められてないからで、社会に認められたらソーシャルになるんのよ。それって矛盾してない?と。
別にきれい事と言いたい訳じゃなくて、結局人種間の争いと、エロを含めてインターネットのプラットフォーム最高っていうことなんだけれど、僕がいやなのは、「インターネットのマジョリティが広告代理店のものになりつつある!」ってほんとに思っていて。でもそれがソーシャル界隈のマーケティングだと。
でもソーシャルはインターネットの一部なので、インターネット好きな僕はソーシャルも好きです。でも今はマネタイズできるとこ=ソーシャルで、それ以外=カルチャーと言う感じで、だから苦しんでいる人たちがいっぱいいる!と思う。
PS.先輩はインターネットとソーシャルマーケティングの間に挟まっていたけれど、僕は後もう一個、超ローカルバンドカルチャーみたいなところにも挟まっていて、その3つがかなり中途半端なので、全部頑張ります!